東京地方裁判所 昭和38年(ワ)5054号 判決 1966年6月30日
原告 堀節治
被告 国
訴訟代理人 横山茂晴 外三名
主文
被告は原告に対し、金二四万三、三一五円およびこれに対する昭和三八年七月四日以降右完済に至るまで年五分の金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求の原因、および被告の主張に対する反駁として、次のとおり述べた。
一、原告は昭和二九年三月一五日浅草税務署長に対し、原告の昭和二八年分の所得税について、総所得金額を金四〇万五、六〇〇円、所得控除額を金二二万二、七二〇円、算出税額を金四万四、一〇〇円、差引税額を金二万三、六〇〇円として確定申告をし、右税額を納付したところ、同税務署長は、昭和三一年一一月二〇日総所得金額に雑所得金二四五万八、一〇〇円を加え、所得控除額から金一一万九、七二〇円を減額し、算出税額を金一三〇万七、八八五円、差引税額を金一二八万七、三八〇円、過少申告加算税額を金六万三、一五〇円として更正処分をした。そして被告国は、右差引税額金一二八万七、三八〇円よりすでに納付ずみの税額金二万三、六〇〇円を差し引いた残額金一二六万三、七八〇円については、原告の財産に対する滞納処分によりこれを徴収した。
二、浅草税務署長が更正処分において原告の総所得金額に加算すべきものとした右雑所得のうち金四二万一、三〇六円は、(イ)原告が訴外大沢金備、同大沢園子、(園子は金備の妻)同鈴木利八(利八は園子の父に当たり、同人は死亡して、大沢園子、鯨岡利子、鈴木コト、鈴木キン、鈴木満寿子がその権利義務を承継した。)を連帯債務者として昭和二七年一二月一九日貸付けた元本債権金三〇万円につき昭和二八年中に生じた年三割六分の利息損害金一〇万八、〇〇〇円、および(ロ)原告が同債務者らに対し昭和二八年三月一八日貸し付けた元本債権金一五五万八、九五〇円につき昭和二八年中に生じた年三割の利息損害金三六万〇、一一八円、以上(イ)(ロ)の合計額金四六万八、一一八円に対し所得標準率九〇パーセントを乗じて算出されたものであるが、右利息損害金債権は、次のような事情により原告において、昭和三六年七月一九日全部これを放棄した。
原告は右の大沢金備外二名に対する二口の貸金債権を担保するために鈴木利八所有の不動産数筆、および大沢園子所有の不動産数筆につき抵当権の設定を受けていたが、大沢園子所有の物件については、さらに、訴外大木みよのため債権額金二五〇万円の抵当権が設定され登記が経由されていた。そして、大沢園子所有の各不動産に対しては先ず大木みよより、次いで原告より、順次競売申立てがされたところ、大沢園子に対し金四〇〇万円の貸金債権をもつ訴外小島重吉の申請により、東京地方裁判所において右各競売手続を停止する旨の仮処分決定が行なわれ、これに対し、大木みよ、原告がそれぞれ異議の申立てをし、併合審理が行なわれたが、その結果、昭和三二年一一月五日およそ次のような理由で仮処分決定認可の小島勝訴の判決があつた。その理由の大要は、大木みよおよび原告のために設定された右抵当権は、目的物の所有者大沢園子に無断で大沢金備のした無権代理行為にもとづくものであるが、異議事件の進行中大沢園子の追認により有効となつた、しかし、右の抵当権設定は、いずれも小島重吉の債権を害するもので、原告、大木において悪意であつたから詐害行為として取り消されるべきである、というのである。
右の次第で、大沢園子所有物件についての抵当権の実行は不可能な状況にあつたが、他方、鈴木利八所有物件についての抵当権についても、利八の相続人らから抵当権の設定が鈴木金備の無権代理行為によるものであるとの理由により、原告を相手方として抵当権設定登記抹消請求の訴えが提起され、この訴訟においても、利八の相続人らの右主張が認容される公算がきわめて大きく、しかも右相続人らのうちには海外在住者もあり、相続人ら全員の追認を得ることは不可能であつた。
以上の次第で、当時原告の債権は物的担保のすべてを失うおそれがあり、担保物件を除いては債務者らにみるべき資力はなかつたので、訴訟の運命いかんによつては元本の回収すら困難になるものと考えられた。そこで原告は右訴訟において昭和三六年七月一九日鈴木利八の相続人らと裁判上の和解をし、同人らに前記二口の元本債権の存在を認めさせることに対する代償として、やむをえず、利息損害金債権をすべて放棄した。
三、右のような事情であるから、原告の貸金債権は、事実上、初めから、元本すら回収可能かどうか疑わしい状態であり、利息損害金についてはもとより現実に収入がなく、かつ、課税年度以降においても全く回収が不可能であつた。そこで、原告は、元本債権をとりとめるため、利息損害金債権については回収不能の事実を認めて、一切これを放棄したのであるから、結局、原告の昭和二八年分の課税所得のうち金四二万一三〇六円の雑所得は所得がないのに課税の対象となつたといわなくてはならない。このように、課税年度経過後において所得の不存在が確定したものについても、当該年分の所得として課税されるという不都合は、所得税法(昭和三七年法律第四四号による改正前のもの、以下、所得税法というときは、これを指す。)がいわゆる権利発生主義を採用している結果であるが、同法上本件のような雑所得に対する右のような不都合を救済する手段は定められていない。したがつて、このような所得のないところにされた課税に対する不公平を是正する手段としては、法の一般原理である不当利得の法理によるほかはない。そして、原告の右放棄にかかる雑所得が存在しなかつたとしたら原告に返還さるべき本税および過少申告加算税額は金二四万三、三一五円であるから、被告は、正当の原因なくして右返還額相当額を利得しているものというべきである。よつて、原告は被告に対し、この金額とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三八年七月四日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の損害金の支払いを求めるため、本訴におよんだものである。
四、被告は、不当利得の成立する余地がないことを種々の観点から主張しているが、いずれも納得すべきものとは思われない。
(1) 被告は、課税年度経過後に貸倒れが生じても課税処分が依然適法有効に存在する以上、形式的に不当利得の問題を生ずる余地のないのはもとより、実質的にも発生主義をとる税法の実体規定を改正しないかぎり不当利得の問題を生ずる余地はないと主張する。しかし、行政処分は形式的に確定しても実質的確定力を有するものではない(原告が被告の本件更正処分に対し提起した訴訟については不適法却下の判決があり、この判決は最高裁判所の判決によつて是認されたが、この判決によつても、更正処分に実質的確定力が付与されたわけでない。)から、更正処分後、更正処分の基礎となつた利息、損害金債権の存在しないことが確認されて放棄されたような場合には、これを根拠として更正処分の違法、無効を主張し不当利得の返還を求めえない理由はない。また、発生主義をとる所得税法が右のような場合につきなんらの救済規定をおいていないことは、発生主義により徴収された税額相当の利得を実質的に正当として保有すべきことを定めたものではなく、かえつて、正義、公平の原理はかような場合につき利得の帰属調整が行なわるべきことを要請しているものと解すべきであるから、被告の右主張をもつてしては不当利得の成立しないゆえんを説明することはできない。
(2) 被告は、発生主義をとる以上利息、損害金債権の取立不能は一たん実現、収得された利得、財産が後にその価値を喪失するに至つた場合と同視さるべきであると主張するが、事業所得の場合のように貸倒れが必要経費とされるものや回収の確実性のある債権についてはともかく、原告の主張する二口の貸金債権に対する利息損害金債権は、昭和二八年中にすでに元本の回収すらあやぶまれ、その債権が所得として発生したといえる程度の確実性は全くなかつたのである。このような状態で原告のした利息損害金債権の放棄は、一旦収得された利得の価値喪失と同視さるべきものではなく、実質において利得の不存在の確認というべきである。この点において、本件更正処分は、形式的には権利発生主義に従つた適法のものであつても、実質的には違法であり、被告が取得した当該部分にもとづく税額は不当利得となるものである。
(3) 被告は、原告の主張を是認するときは所得税法の体系をくつがえす結果となるというが、被告のいうその体系とは、単に徴税の便宜的方法についての体系であるに過ぎず、いかなる所得に所得税を課すべきかの本質に関する体系ではなく、原告主張のような場合につき不当利得の救済を認めたからといつて、所得税の本質に反するといいうるものではない。また同じく、所得税の課税対象である所得でありながら、事業所得については貸倒れについての救済を認めながら、雑所得になんらの救済を認めないのは法の理念である正義に反するものといわねばならない。
(4) 被告は、原告主張のような場合について、仮りに救済を認める立場に立つても、課税処分の取消しを訴求した上で納付税額の還付を求める手段によるべきであるとして、種々の理由を述べるが、不当利得による救済が認められても、すでに行なわれた公売処分の効力には影響がないから、被告主張のように法律関係の安定を考慮する必要はないし、本件の場合、認定もれの所得はなく、仮りにあつたとしても、すでに時効により課税しえないはずであるから、被告の危惧はあたらず、被告主張のような理由によつては不当利得の法理による救済が排除されねばならない根拠を説明しうるものではない。
原告訴訟代理人は以上のとおり陳述した。
(証拠省略)
被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁および被告の主張として、次のとおり述べた。
一 原告の請求原因のうち、一の事実、二の事実のうち原告が連帯債務者大沢金備外二名に対し、その主張のような二口の債権を有していたこと、右各債権について昭和二八年中に生じた利息損害金債権額四二万一、三〇六円が浅草税務署長のした本件更正処分のうちの雑所得に含まれていること、および原告において、その主張の頃、右の利息、損害金債権の一切を放棄したこと、三の事実のうち、所得税法上右の放棄に対する救済方法が定められていないこと、および右の利息、損害金債権が存在しなかつたとしたら原告に返還さるべき昭和二八年分の本税及び過少申告加算税が原告主張のとおりの額であることは、いずれも認めるが、その余の事実ことに利息、損害金債権の放棄が客観的にその回収が不可能であること(すなわち貸倒れが生じたこと)にもとづき行なわれたものであることは争う。
二 昭和三七年法律第四四号による所得税法の改正により、雑所得等について課税年度経過後に貸倒れが生じた場合には、「その回収することができないこととなつた部分の金額………に対応する所得の金額は、当該所得の生じた年分の………所得の計算上なかつたもの」とみなされ(改正後の法第一〇条の六第一項)、貸倒れを生じた日後一箇月間をかぎり更正の請求をすることができることとなり(改正後の法第二七条の二)、この改正規定は昭和三七年一月一日以後に貸倒れが生じた場合にかぎつて適用されることとなつた(昭和三七年法律第四四号附則第七条)が、右改正前の所得税法においては、課税年度経過後に貸倒れが生じた場合についても、課税年度において債権が存在することにもとづき確定された所得の額になんら変動を及ぼすものではないとの建前がとられていた。そしてかような場合につき不当利得の法理による救済を認める余地もなかつたことは、次の諸点から考えて、当然であり、やむを得ない結果であつたというべきである。
(1) 所得の算定につき発生主義をとる制度の下では、課税年度経過後に貸倒れが生じたとしても、課税年度において債権が存在することを基礎として行なわれた課税処分の効力になんら影響がなく、租税を徴収すべき原因として課税処分が適法、有効に存在する以上、形式的に不当利得の問題を生ずる余地がないのはもとより、実質的にも、発生主義をとる税法の実体規定が右処分にもとづく利得の保有を是認しているものと解すべきであるから、この実体規定が改正されない限り、実質上も不当利得の問題はおこりえない。
一たん生じた所得を遡つて所得の計算上なかつたものとみなすことは、法の規定があつて初めてできることである。
(2) 債権といえども、回収不能が確定しないかぎり、発生の時点においてすでに財産的価値を有するものであるから、発生の時点においてすでに所得が実現されたものとして課税する方式にも、それ相応の合理性がある。所得の算定に関する発生主義はこの合理性の承認の下にとられたものであつて、この主義をとるかぎり課税年度経過後に貸倒れが生じた場合は、課税年度において一たん実現した所得の価値がその後失われた場合と同様にみらるべきことは当然の帰結というべきである。改正後の所得税法第一〇条の六の規定は、この種の貸倒れについて、これを当該貸倒れの生じた年度の損失とみないで、既往の所得の算定を修正する途を開き、所得の算定期間についての厳格性を緩和しているが、かような取扱いをするかしないかは租税政策の範囲内の問題であつて、過年度分の所得の修正が租税の本質上当然に要請されるものではない。
(3) 課税年度経過後の貸倒れを一切しんしやくしない建前をとるときは、一見現実の所得なくして課税するという不合理な結果を生ずるようにみえ、ことに貸倒れがその生じた年度の必要経費とされる事業所得との均衡を失し不合理であるかに見えるが、それは、所得を一定の期間につき算定する制度の下で発生主義をとることと、雑所得等のような一回限りの所得については、事業所得と異なり、収入と経費との対応が個別的に判断されざるをえないこととから制度上、理論上、当然生ずるやむをえない結果である。のみならず、課税年度経過後に貸倒れが発生した場合につき不当利得の法理による救済が認めらるべきであるとすることは、債権の存在を基礎とする所得の算定は確定的のものでなく、いわば後にその回収不能が確定することを解除条件とするものと解するに等しい結果を求めるものであるが、もしこの見解が正当であるとすれば、事業所得についても、貸倒れはその発生年度の必要経費とならず、貸倒れ債権の発生年度の所得の変動事由になるものとすべきこととなり、所得税法の体係を根本的にくつがえす結果を招来することとなる。さらに事業所得についても、貸倒れの生じた年度の収入金額ないし他の必要経費の額いかんによつては、貸倒れの発生が租税負担上なんら影響しない場合もありうる。したがつて、発生主義をとることにより一部不合理とみえる結果を生ずることや、事業所得との単純な均衡論から年度経過後の貸倒れを、当然に、所得の遡及的変動事由として取り扱うべきものとすることは正当でない。
(4) 仮りに、改正後の法第一〇条の六のような規定の新設前でも貸倒れが発生したことによつてその債権の発生年度の所得に対する課税につきなんらかの救済を与えるべきであるとの見地に立つても、一般に違法な課税処分にもとづく納付税金は課税処分の取消しをまつて返還される方式がとられていること、公売処分が実施されているときのように法律関係の安定を考慮しなければならない場合もあること、所得の有無は総合的客観的に判定さるべきものであり貸倒れが生じた場合でも他に認定洩れの所得が発見された場合のように必ずしも過年度の所得額を修正する必要のない場合もありうること等の諸点から考えれば、貸倒れの発生を理由としてまず課税処分の取消を訴求した上で(その場合の出訴期間は貸倒れの事実発生の時から再び進行すると解すべきである。)納付税額の還付を求めるべきであり、直接、不当利得の法理による救済は認めらるべきではない。
被告指定代理人は、以上のとおり陳述した。
(証拠省略)
理由
一、原告がその主張のような経過で浅草税務署長から昭和二八年分の所得税について、更正処分をうけたこと、および原告が連帯債務者大沢金備外二名に対し、その主張のような二口の債権(金三〇万円、金一五五万八、九五〇円)を有していたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一ないし第三号証に原告本人尋問の結果、ならびに口頭弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、原告は、右二口の貸金債権の担保のため、昭和二八年三月二三日大沢金備の妻大沢園子の父に当たる鈴木利八所有の不動産数筆につき、同年七月三一日大沢園子所有の不動産数筆につき、それぞれ抵当権の設定をうけていたこと、大沢園子所有の各不動産については、なお訴外大木みよのため債権額面二五〇万円の抵当権が設定されており、同人および原告から、順次抵当権の実行による競売申立が行なわれたところ、大沢園子の債権者訴外小島重吉から、右の抵当権の設定は大沢金備が大沢園子に無断でした無権代理行為によるもので無効であること、仮りにそうでないとしても、詐害行為に当たることを理由として、東京地方裁判所に競売手続停止の仮処分申請が行なわれ、これを認容する仮処分決定があつたこと、この仮処分決定に対して、原告および大木みよから異議の申立てがありこの異議訴訟において昭和三二年一一月五日、無権代理行為による抵当権の設定は後に大沢園子の追認により有効となつたが、なお、抵当権設定行為は詐害行為に当たり取り消さるべきものである、との理由により仮処分債権者小島重吉勝訴の判決が言渡され、大沢園子所有の各不動産についての抵当権の実行は阻止されていたこと、他方鈴木利八所有の各不動産についての抵当権についても、利八の死亡後その相続人大沢園子外四名から鈴木利八の所有物件に対する抵当権の設定が大沢金備の無権代理によるものであることを理由に、原告に対し抵当権設定登記抹消登記手続請求の訴えが提起され、前記仮処分異議事件の判決理由から考えても、この請求が認容される公算が大きいと考えられたこと、そこで原告は、右訴訟に敗訴すれば、原告の債務者らが前記担保物件以外には当初から無資力であるため、貸金元本の回収も全く不可能になるものと考え、利八の相続人である大沢園子らと和解をすることとなり、昭和三六年七月一九日東京地方裁判所において、同人らに元本債権の支払義務のあることを確認させることの代償として利息損害金債権の一切を放棄すること等を内容とした訴訟上の和解を成立させたこと、以上の事実を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。そして、右の放棄にかかる原告の昭和二八年中の利息、損害金債権が本件更正処分において認定された雑所得に含まれていること、および被告が本件更正処分による税額について原告の財産に対する滞納処分によりこれを徴収したことは、当事者間に争いがない。
二、以上認定したところによれば、原告の二口の債権は、債務者らの動向いかんによつては、利息、損害金債権はおろか、元本債権すら回収不可能な状況にあつたため、課税年度経過後、元本債権をとりとめるため、やむをえず、利息、損害金債権については貸倒れを認めてこれを放棄したものであつて、原告が課税年度経過後に所得算定の基礎となつた利息、損害金債権を放棄したのは、その回収が可能であるにかかわらず、ことさらにこれを放棄したものでないことは明らかである。
そこで、本件の問題は、昭和三七年法律第四四号による改正前の所得税法の下で、右のような場合につき不当利得の法理による救済が認めらるべきかどうかということである。
同法第一〇条第一項が「収入金額は………収入すべき金額による」との文言を用い「収入した金額」なる表現をとつていないところからみても、所得税法は、所得の算定方法につきいわゆる発生主義をとつていることは明らかであるところ、所得算定方法としての発生主義は、現実収入の原因たる権利の発生(確定)の時期と現実収入の時点との間に時間的ずれのある場合に、課税上、現実収入の時点との間に時間的ずれのある場合に、課税上、現実収入の時点の属する年度の所得としてではなく、権利発生の時期の属する年度の所得としてこれを算定すべきものとする方式であつて、所得を年度ごとに正確、確実に捕捉する方式として、極めて便宜、有用な技術的方法であることは争いえないところである。しかしながら、発生主義は、債権についていえば、現実の回収が行なわれない前の時点において、現実の収入があつたのと同様に課税することを許すものであるから、後に現実の回収の不可能であることが確定した場合には、実質上、結局において所得なくして課税を行なつたに等しい不公正な結果を招来するという危険、弊害を内包する主義、方式であることも否定できないところである。したがつて、所得算定方法としての発生主義は、この主義をとることによつて必然的に生ずる右の弊害を除去するための、なんらかの適切な調整方法とあいまつて初めて公正、合理的な方式として是認しうるものであつて、この調整方法を伴なうのでなければ、無条件にその合理性を承認することのできないものである。
ただ、発生主義を貫くことにより生ずる弊害を除去するため、いかなる場合につきいかなる調整方法を講ずべきかについては、租税政策上の考慮を加える余地があり、この点につき立法府の有する立法政策上の裁量権の範囲は、必ずしも狭いものと解すべきではなかろう。たとえば、商品の売買にもとづく事業所得等についてみれば、この種の所得が継続的性質のものであること、所得の原因たる売掛代金債権は通常大量的なもので一部債権の回収不能は各年度の収益構成にそれほど顕著な影響を及ぼすものではなく、かえつて、事業の経営は一部貸倒れの危険を見込んで行なわれているともいいうること、したがつて、会計慣行上もこの種のものについては債権発生の時点において一応収益が実現したものとして損益計算を行ない、後に回収不能が生じた場合には、これを生じた年度の経費、損金として取扱うという方式が一般的にとられていること、などの諸点から考えれば、この種の所得については、課税年度後に回収不能が生じた場合については、個別的遡及的調整にかえて、回収不能が確定した年度の損金として処理すべきものとする方式をとることも必ずしも不合理ではなく、立法府の裁量権の範囲内の措置として許されるところであろう。また、債権の回収が可能であるにかかわらず、ことさらにこれを放棄したような場合については、課税政策上、債権の回収があつた場合と同様に取り扱い、なんらの調整方法を講じないとすることも許されて然るべきであろう。さらに、個別的、事後的調整方法を講ずるについても、その方法として、不当利得の法理による救済にかえて、改正後の法第二七条の二の規定のように、期間をかぎつた更正請求の方法によるべきものとすることも立法府の裁量権の範囲内の取扱いとして是認されねばならないであろう。しかし、たとえば、譲渡所得や雑所得のような一回かぎりの所得について、発生主義を厳格に貫き後に被課税者本人の責に帰すべからざる事由により回収不能が生じた場合においても、およそなんらの調整方法を講ずる必要がないとすることは、実質上、結局において、所得なくして課税するに等しい不公平、不公正を是認する結果となり、この場合に生ずる不公平、不公正は、事業所得につき貸倒れ発生の場合に遡及的、個別的調整を認めないこととすることにより生ずる不公正に比してはるかに顕著なものであることは明らかであつて、かような不公正に対しなんらの救済方法も許さないとすることは、徴税の便宜のために正義、公正の基本原理を無視するものといわねばならない。したがつて、立法府の立法政策上の裁量権をもつてしても、かような顕著な不公正の受忍を個人に強いることは許されないものと解すべきであり、所得税法がかような場合につき救済方法を定めなかつたのは、当時の所得税法が徴税の合目的性、便宜性を主眼として立案されたため、かような場合の救済方法につき適切、周到な配慮を欠いたことによるもので、立法府がかような場合につきおよそなんらの救済方法も認めらるべきでないとする態度をとつているものとは解されない。かえつて、所得税の本質と正義、公平の基本原理とに照らせば、徴税当局において債権が存在することにもとづき徴収した租税はこれを還付すべきことが期待され、要請されているものと解すべきであつて、貸倒れの発生が判明した以後においては、徴税当局が課税処分の取消(全部若しく一部の取消)による租税還付の措置をとらないでいることが違法となるものと解するのが相当である。
他面、不当利得の制度は、歴史的、沿革的には私法分野においてまず発達した制度ではあるが、法の支配の原則をとり、私法分野のみならず、ひろく公法分野の事件についても裁判所に審判権の認められた現行制度の下では、不当利得の制度は、利得の保有が正義、公平の基本原理に照らし是認しえない場合に対する個別的救済の法理として、公法、私法を通ずる基本的法理と解さるべきものである(私法上の不当利得の制度は、この基本法理の私法分野における発現形態として理解さるべきものである。)から、右述のように、課税処分の取消による租税還付の措置をとらないでいることが正義、公平の基本原理に照らし許されないと解されるような場合であつて、しかも制定法上これに対す救済手続が定められていない場合には、裁判所が不当利得の法理による個別救済の役割を引き受けることを妨げるべきなんらの理由はなく、かえつて裁判所がこの役割を辞さないことこそ新憲法下の裁判所の地位にふさわしいものというべきである。
三、被告は、課税年度経過後に貸倒れが生じた場合につき不当利得の法理による救済を認める余地がないことを各種の観点から理由づけているので、以下被告の主張につき検討する。
(1) 被告は、まず、後に貸倒れが発生しても課税処分が依然適法有効に存在する以上、形式的に不当利得の問題を生ずる余地のないのはもとより、実質的にも、発生主義をとる税法の実体規定を改正しないかぎり不当利得の成立する余地はないと主張する。しかし、後に貸倒れが発生したことによつて一たん適法、有効に成立した課税処分が当然に違法、無効となるものではないとする被告の見解はこれを是認すべきであるとしても、課税年度経過後被課税者本人の責に帰すべからざる事由により貸例れが発生したような場合については、正義、公平の基本原理に照らし、徴税当局が課税処分の取消による租税還付の措置をとらないでいることが違法となるものと解すべきことは前述のとおりであるから、かように、本来取り消さるべきことが期待され、要請されている処分の存在をもつて、利得の保有が実質的に正当であることの根拠とすることのできないことは当然である。また、発生主義をとる所得税法がかような場合につきなんらの救済手続を設けていないことは、前述のように、同法が徴税の便宜、合目的性に主眼をおいて立案されたためであつて、かような場合につき徴収税額の保有を実質的に正当として是認する態度をとつているものとは解されず、かえつて、実体法としての正義、公平の基本原理が、かような場合については利得の帰属調整が行なわるべきことを期待し、要請しているものというべきであるから、被告の右所論によつては不当利得の成立しない根拠を説明しえないことは明らかである。
(2) 被告は、次ぎに、債権といえども回収不能が確定しないかぎり発生の時においてすでに財産的価値を有するものであるから、発生主義にはそれ相応の合理性があり、その厳格性を緩和するかどうかは租税政策の問題である、と主張する。しかし、各種債権は、その実態について個々に考察するときは、種々さまざまのものがあり、その中には、債権発生の時点において、すでに実質的に財産的価値をもたらすものとみることがその実態にそい不合理でないと認められるものもあるが、しかしまた、かように見ることが明らかにその実質にそわず不合理と認められるものもあることは否定しえないところ、所得の算定に関する発生主義は、前述のように、所得を年度ごとに確実、正確に捕捉する技術的手段であることにその使命があり、いかなるものを課税の対象としてとらえることが所得税の本質に適合し課税の公正の理念にそうものであるかということに関する主義、原則ではないから、所得税法が所得の算定につき発生主義をとつているということから、ただちに、同法が、あらゆる種類の債権につきその実態上の差異を無視して、一律に債権発生の時点においてすでに財産的価値をもたらしたものとして課税することが合理的であるとの見地を貫いているものと即断すべきではない。換言すれば、所得税法があらゆる種類の債権につき例外なく発生主義を厳格に貫くべきものとしているか、それとも、或る種の債権については、発生主義をとることにより生ずる不公正な結果については別途に事後的救済が行なわるべきことを予定しているものとみるべきかの問題の決定については、所得税の本質や課税の公正の理念が当然考慮に加えらるべきであつて、単純に同法が所得の算定方法として発生主義をとつていることによつてのみこれを断定すべきものではない。この見地から考えれば、後に被課税者本人の責に帰すべからざる事由により貸倒れを生じたような場合についてもなんらの救済措置を許さないとすることは、結局において、所得税の本質に反し、課税の公正の理念に反するものとして許されず、立法府の立法政策上の裁量権をもつてしてもこれが許されないことは前述のとおりであるから、被告主張のように、所得税法があらゆる種類の債権について債権発生の時点においてすでに財産的価値をもたらすものとして課税することは合理的であるとの見地を例外なく貫いているものと解することの正当でないのはもとより例外的救済を認めるかどうかを常に立法政策の範囲内の問題とすることも正当ではない。
(3) 被告の論拠の第三点は、雑所得等につき発生主義を貫くときは貸倒れ発生の場合に一見不合理な結果を生じ、事業所得の場合と比較して一見不均衡を生ずるが、それは、制度上、理論上やむをえないところであるのみならず、雑所得等につき遡及的個別的調整を認めるときは事業所得についても同様のことを認めねばならないこととなり所得税法の全体をくつがえすこととなる上、事業所得についても貸倒れが租税の負担に影響しない場合もありうるから、発生主義をとることにより一部不合理な結果を生ずることや事業所得との単純な均衡論から、貸倒れ発生の場合につき当然に遡及的調整が認められるべきであるとすることは正当でない、というのである。しかし、発生主義をとることにより一部不合理な結果を生じ事業所得との間に不均衡を生ずることは制度上、理論上やむをえない結果であるとすることは、不当利得の法理による個別的、事後的救済が許されないことをなんらの論証なく当然の前提とするものというべきであつて納得すべき論拠ということはできない。また、雑所得につき個別的、事後的救済が認めらるべきであるとしても、これと性質、態様を異にする事業所得につき同様のことを認めねばならないこととなるものでないこともいうまでもない。さらに事業所得についても、場合により貸倒れの発生が租税の負担に影響しないことがありうることは被告の主張のとおりであるが、事業所得者が、貸倒れをその発生年度の損金として計上しうるという、雑所得等についてみられない特典を与えられていること、その他前述のような事業所得の特質にかんがみれば、事業所得者が右のような場合に忍ばねばならない不合理の度合は、雑所得等につき貸倒れ発生の場合に個別的、事後的調整を認めないこととすることによる不合理、不公正に比してはるかに低いものであることは明らかであるから、事業所得についても、貸倒れの発生が租税の負担に影響を及ぼさない場合がありうるとの理由をもつて、雑所得等につき貸倒れ発生の場合につきなんらの救済を認めないことにより生ずる不合理、不公正を忍ばねばならないことの論拠とすることは正当でなく、この点の被告の所論も理由があると思われない。
(4) 被告は、最後に、仮りに貸倒れ発生の場合につき個別的、遡及的調整が与えらるべきであるとの見地に立つ場合でも、まず課税処分の取消を訴求すべきものであつて、直接、不当利得の法理による救済は認めらるべきでないとして種々の理由をあげている。しかし、一般に違法な課税処分にもとづく納付税金は課税処分の取消しをまつて返還される方式がとられているということは、貸倒れの発生の場合についても制度として同様な方式が望ましいということの理由とはなつても、制定法上かような制度、手続が定められておらず、しかも、貸倒れの発生を根拠として課税処分の取消を訴求しうることが法理上も確立されているものとは認められない現状において、不当利得の法理による裁判上の救済を排除しなければならない絶対的理由となるものと解されない。また不当利得の法理による裁判上の救済が認められたからといつて、このため、すでに行なわれた課税処分が遡つて違法となるものとは解されず、右処分にもとづき行なわれた公売処分の効力にはなんらの影響がないものと解すべきであるから、この点に関する被告の主張も理由があるものとは思われない。
さらに、認定洩れ所得の発見により課税処分の効力を維持する機会が与えられるべきであるということも、仮りに認定洩れの所得の発見により過年度の課税処分の効力を維持することができる場合があるならば、不当利得返還請求の訴訟においてこれを主張すれば足りるから、このことは、不当利得の法理による救済を排除しなければならない理由となるものではない。そればかりでなく、そもそも、正義、公正の基本原理に反するものとして救済に値するものであるかどうかというような問題は、本来、司法的判断に親しむことがらであつて、かような問題につき行政庁の第一次的判断を経由すべきものとする絶対的必要性があるとは思われず、この点に関する被告の所論は制度としてまず処分の取消しを訴求すべきものとすることがいつそう望ましいということの理由とはなりえても、かような制度が存在しない場合において不当利得の法理による救済が許されないとすることの絶対的な根拠となるものではない。
四、以上に判断したところにより、原告が課税年度経過後に本件更正処分の基礎となつた利息、損金債権金四二万一、三〇六円につき原告の責に帰すべからざる事由により貸倒れとして処理したものと認められる本件においては、被告は、これにもとづき原告に返還さるべき納付税額相当額を正当の原因なく利得しているものとして、これを原告に返還すべき義務を負うことは明らかであるところ、右返還税額が金二四万三、三一五円であることは当事者間に争いのないところであるから、原告の被告に対する右金額とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和三八年七月四日以降右金完済にいたるまで民法所定年五分の利息の支払いを求める本訴請求は正当である。
よつて、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 白石健三 浜秀和 山下和明)